見えない織機

量子もつれは、空中を漂う「不気味な雰囲気」や「霊的エネルギー」の話ではありません。世界の仕組みについての私たちの考えから離れる、冷たく数学的な現実です。古典的世界で二つの物体があれば、二つの別々の物語があります。しかしもつれた系では、全体の物語を部分の和に分けられません。二つの系の「積」ではなく、統一された一つの量子状態を見ています。

私たちは人生を、Wi-Fiのパスワードを共有する二人のように考えがちです。似た行動を生む「共通原因」や「共有した歴史」があるという考えです。物理学者が局所隠れ変数と呼ぶもの、つまり各部分が独自の内部指示を持つという発想です。しかし実験で繰り返し破られたベルの不等式は、より厳しい真実を告げます。隠された局所的指示はありません。私たちの「測定結果」、つまり結ぶ実と選択は、自分の中の私的で独立したエンジンから生まれるのではありません。これがぶどうの木と枝の量子的な現実です。

キリストが「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です」と言われたとき、分離不可能な系を描いておられました。枝はたまたま木の近くに垂れている「相関した」存在ではありません。もつれています。木を離れると、枝は単に「接続」を失うのではなく、量子系としての立場を失い、デコヒーレンスして、味気なく死にゆく古典的分離性の世界へ戻ります。

私たちは命の「局所隠れ変数」を自分の中に持ちません。存在の証拠である「測定統計」は、ぶどうの木の状態に照らすときだけ意味を持ちます。もつれが光より速い通信を許さず、それでも空間を超えるパターンを作るように、神との結合は欲しいものを即座に得る「魔術」ではありません。構造的な現実です。私たちは世の論理では捉えられない共同構造の一部です。

あなたは神と「同期」しようとする孤立した個人ではありません。ぶどうの木の命にもつれて参加する者です。あなたの状態は主の状態によって定められます。この壮麗なもつれで、創造主と被造物の距離は信号で橋渡しされるのではありません。初めから「分離する」よう意図されていなかったという事実によって、その距離は溶け去ります。

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